廣井勇が札幌農学校2期生として北海道に渡ったのは、 1877年9月。15歳の誕生日を迎えたばかりであった。前年に教頭として赴任していたウイリアム・クラークの感化により、1期生はほとんどクリスチャンになっていた。同校は官立ではあったが、さながらミッションスクールのようであり、クラークが帰国した後ではあったが、キリスト教信仰の熱気に溢れていた。そこに飛び込んできたのが廣井ら2期生。その中には、内村鑑三、新渡戸稲造、宮部金吾など錚々たる俊英がいた。そこでも廣井は最年少であった。
クラークの教育方針は、キリスト教を基本とする人格教育で、この伝統は、その後2代目教頭となるウイリアム・ホィーラーによっても引き継がれていた。ホィーラーは26歳の若さであったが、土木工学、測量、数学、図学などを学生に教え、2期生に与えたその影響力は計り知れない。このホィーラーや1期生の感化により、廣井ら2期生の大半は翌年の6月に、キリスト教の洗礼を受けることになる。
(古川勝三氏提供)