彼らは毎週聖書研究会を開催。礼拝も学生が持ち回りで担当するような素朴なものであったが、彼らには確かな内的覚醒が芽生えていった。特に廣井の信仰は、後に日本を代表するキリスト者となる内村鑑三をして次のように言わしめた。「一時は、私が今日おるべき地位(伝道師)に君が立つのではあるまいかと思われたくらいであった」。
しかし、廣井は伝道師になる道を選ばなかった。聖書を教える代わりに土木工学を通して、貧乏国の日本を富ますこと、つまり「世俗の事業に従事しながら、いかに天国のために働こうか」を考えていた。これこそがクリスチャンである自分に与えられた天命と感じていたのである。
(古川勝三氏提供)